ジャンク・レスキュー

古いレコードやプラモデルなど忘れかけた記憶をもう一度

本郷直樹『燃える恋人』和製プレスリー

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「和製プレスリー」と呼ばれている人って結構たくさんいるんですね。
ささきいさお尾崎紀世彦はもちろん、ほかにも平尾昌晃、ミッキーカーチスなどロカビリー時代の歌手の多くがそう呼ばれていたようですし、どっちかというとカントリーの小坂和也までも「和製プレスリー」として結構定着していたようです。(まぁプレスリーもC&Wの影響はかなりあるので間違いではないのでしょうが)
しかし私たちの世代にピンとくるのはやっぱり本郷直樹ですね。

本郷直樹は、1971年デビュー曲『燃える恋人』のヒットでトップアイドルとなりました。
当時の所属事務所は、その曲名にちなんで社名を「バーニングプロダクション」に変更するほどの力の入れようだったようです。(バーニングプロは、いまや業界最大手ですが、当時は、所属タレントが『わたしが生まれて育ったところ』の野路由紀子と本郷直樹だけの小さな事務所でした。)

ルックスや歌唱力もさることながら陸上自衛隊少年工科学校出身という経歴もなんかカッコよくて、当時小学生だった私も大ファンになりました。

そのころ一度だけ実際に本郷直樹を見たことがあります。
何人かの歌手が出演する歌謡ショー出演者のひとりでしたので歌ったのは2曲ほどでしたが、なぜか本郷直樹だけサイン会が行われるほどの人気でした。私も、こんなこともあろうかと持って行ったレコードのジャケットにサインしてもらいました。
写真のレコードがそのときの『燃える恋人』です。本当はその場で買った色紙以外はNGだったらしいのですが、そんなこと知らずに差し出したこのジャケットにサインし、握手までしてくれました。スターを間近で観ることもはじめてだったのですがとてステージで観る以上に大きな人だなと思ったのを憶えています。